【AI創作】人はもう、物語を書かずにいられない
ディズニーIP × 生成AI の衝撃
こんにちは、ぴこ山ぴこ蔵(PIKOZO)です。ローマ字を併記しているのは、最近、AIが音声で私の名前を「ピコクラ」と発音するからです。これでは私がボンクラであるという極秘事項が容易に連想されてしまうではありませんか! 恐るべきはAIの進化であります。
それはともかく……
最新の消費者調査では、約73%が生成AIを使ったエンタメ体験をすでに利用し、約半数が「ディズニーIPで自分の物語を作りたい」と回答しています。
AIストーリーテリング消費者調査(Senal News)
これは単なる技術トレンドの話ではありません。物語に対する人間の立ち位置が、根本から変わったという話です。
なぜ人はディズニーIPを使いたがるのか
これは「有名キャラを動かしたい」という話ではありません。
善悪が明確で、成長の軌道が保証され、感情の着地点が約束されている。
ディズニーIPは、物語が破綻しないことが保証された構造として機能しています。
生成AI時代、人はまずオリジナリティよりも「ちゃんと成立する土台」を欲しているのです。
創作者は二種類に分かれていく
この流れが進めば、物語の供給源はプロだけではなくなります。
一般ユーザーがAIを使い、既存の構造を借りて、自分の物語を生成する。
ここで起きているのは、作家が不要になる未来ではありません。
「書く人」と「設計する人」が分離する未来です。
感覚主義は、AI時代に破綻する
物語が書けなくなると、人はこう考えがちです。「才能がない」「センスがない」。
しかしそれは誤った世界認識です。
感覚主義は美しい。しかし再現できない。継承できない。進化できない。
そしてAI時代、感覚はAIが模倣できてしまう。
残る価値は、感覚ではありません。
物語とは、認識を動かす装置である
物語とは、感情の羅列ではない。出来事の装飾でもない。
物語とは本質的に、人間の認識の前提を書き換える構造装置です。
何を信じさせるのか。何を見落とさせるのか。どこで価値観を裏返すのか。
驚きも感動も、偶然ではありません。設計の結果です。
書けない理由は、設計図がないだけだ
終わりを設計していない。変化の軸を定義していない。認識の反転点を作っていない。
「物語を最後まで書き上げられない」理由はそれだけです。
設計図なしに建てようとして、途中で足場ごと崩れているだけです。
あなたは今こそ「設計者」になる
設計者の目指すものは、創作の民主化などという他人事ではありません。
才能という軛から、自分自身のエゴイズムを解放することです。
物語を、感覚ではなく構造で扱う。偶然ではなく設計で生む。属人性ではなく再現性で磨く。
AIは、そのための補助輪にすぎません。
物語は、人生認識を更新するツール
生成AI × IPの流れは止まりません。しかし本当の勝負所は、文章技術ではない。
誰が設計するのか。どこまでを人が決めるのか。物語体験の主語は誰なのか。
物語は、消費される娯楽から、人生認識を更新する装置へ移行しています。
「設計者」とは何者か
ここで一度、立ち止まって考えていただきたいのですが……
設計者とは、物語を「上手く書く人」ではありません。
設計者とは、
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読者が最初に信じる前提を決め
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途中でそれを疑わせ
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最後に別の意味へ着地させる人
です。
これは表現力ではありません。認識を扱う技術です。
AI時代、文章はAIが書けます。アイデアもAIが出せます。
それでも決してAIに委ねられないのが、どの認識を、どの順番で壊すかという判断です。
ここから先は、ぴこ山ぴこ蔵が整理してきた
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認識設計の原理
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変化を保証する構造
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どんでん返しを偶然にしない方法
を、体系として開示します。
「感覚で書き続ける側」に残るか、「設計者として物語を扱う側」に移るか。ここが分岐点です。
さらに深く知りたい方へ
ぴこ山ぴこ蔵が語っている技法は、ストーリーを構築するためのコアとして一つの原典に集約されています。
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なぜ物語は「主人公の変化」が核心なのか
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どうすれば「変化」を具体的に表現できるのか
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なぜ物語は「人生認識を更新する装置」なのか
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